Experience Prototypistのマルチリンガル子育て+プログラミングブログ

Design Thinking、語学(英語、中国語、韓国語)、日中マルチリンガル育児、littleBitsやRaspberry Pi, Arduinoを使ったExperience Prototypingネタ。

文化と言語をいかに切り離すか...いかに英語を学ぶべきか

日本の英語教育が思わしくないのは、一つは教育を受ける側の心理的問題(どうせ日本にいるだけでは留学でもしなければマスターできないのだからやっても無駄)と、教える側の資質の問題(教育者としては教える能力があれば運用する能力がなくてもいいというのは建前で、運用できない教師を教育を受ける側は信頼してくれない)と、教科書ににじみ出る「イギリス or アメリカ文化を知らずして英語はできない」的な思想だと思う(ただ今時の英語教科書はそうでもないらしいが)。

一般論を言えば、ある言語を学習するにはその背景となる文化を知ることが重要だと思う。ただし、こと、英語に関して言えばビジネス英語、もっと言えばTOEIC英語のように文化とは切り離された「道具としての英語」がすでに確立している強みがある。つまり、英語はイギリスやアメリカの文化を原語で理解するための言語ではなく、(日本語話者からみれば)日本語が通じない人とコミュニケーションをとるための「道具としての」共通言語なのだ(そんな英語を身につけるうえで、結局TOEIC向けの単語帳や選択式の文法クイズなどを使った、お受験勉強が有効だということにもなるだろうが、それでもよいのだ)。

すなわち、教育現場にもイギリスやアメリカ文化圏の英語を母語とする教師をAETとして雇い入れなくても、英語の話せるイギリスやアメリカ文化圏に限らない外国人留学生を使えばよいのである。能力の指針としては、1. 非英語母語者同士の意思疎通に困らず、2. かつ英語母語者との意思疎通にも困らない程度の正確さ(つまりそれほどハードルが低いわけではない)で十分ではないのだろうか。

かつ、そういう外国人留学生と話す内容は一方通行の「教えてください」的な会話ではなく(ましてやアメリカやイギリスの文化崇拝ではなく)、あるトピックについて、あなたの国ではどうですか(もっといえば、あなた自身はどうですか)と尋ね、相手の話を理解することができ、日本ではこうですよ(これからは、日本にいる学生が日本人というような時代ではないのだから「私」はこうですよ)説明できる能力を身につけることが重要だろう。日本政府も外国人留学生を日本に呼んで、後で自分の国に帰ったときに掛け橋になってほしい、なんて甘ったれた考えだけを持つのではなく、日本にいる間に自国を理解してもらうべく、どんどん働いてもらえば(かつ苦学生にとっての十分な金銭的サポートになれば)よいのだ。