Experience Prototypistのマルチリンガル子育て+プログラミングブログ

Design Thinking、語学(英語、中国語、韓国語)、日中マルチリンガル育児、littleBitsやRaspberry Pi, Arduinoを使ったExperience Prototypingネタ。

リズム感はそこにあるのか? 日本語と英語、中国語で文章を書いてみる

せっかくブログ書いているので、人に見てもらえばうれしいわけなのだが、当然、日本語で書いていても日本語の分かる人しか読んでくれないので(Google翻訳を使ってまで読もうという酔狂な人もいないだろう)、英語版と中国語版も作ってみようなどと企んでいる。

以前、「紙時代とブラウザ時代における文書の見た目(http://d.hatena.ne.jp/mfunaki/20051017/1129518000)」というブログエントリを書いたことがある。この時と主張は変わっていなくて、形式が生み出す見た目=リズムの重要性は常々意識している。

タイトルはすっかり忘れたのだが、中国語がオリジナルのある本の翻訳書を読んだとき、訳者は中国人で、訳文の正確さも恐らくは問題があるようには思えないのだが、どうも訳文にリズム感が欠けていて読みづらく、結果として記憶に残りづらかったことがあった。

日本語もひらがな・カタカナレベルでは文字数がほぼ拍数だが、漢字語は当然、文字数≦拍数だ。だからこそ、漢字語と やまとことば、助詞(これも やまとことばだ)の組み合わせが音声上も、また視覚上も単調ではないリズムを生み出す。

日本語のリズム感は落語で鍛え、英語のリズム感は聖書とシェークスピアで鍛えたはずだが、そのあたりの比較論を書いていたらどうにもまとまりがつかなくなってしまった。何はともあれ、人を乗せるリズムのある記事を英・中でもかましてみたいものだ。

English | 中文

歩数: 8046歩、睡眠: 記録忘れorz

追記

6月3日のニュースで「日本人英語をネーティブ風に NTT、リズム修正技術」(http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD030JV_T00C13A6TJ1000/)なんてのが出ていた。『個々の単語の発音に誤りがあっても、「全体として話すリズムが正しいと理解されやすい」』と出ていたがそりゃそうでしょう。雑踏の中でも会話が成立するのは(あるいはものを食べながらモゴモゴしゃべっても会話が成立するのは)、多少聞こえない箇所があっても(ノイズによって音声が遮られていても)リズムさえ合っていれば、聞こえない箇所の復元はできるということに他ならない。