Experience Prototypistのマルチリンガル子育て+プログラミングブログ

Design Thinking、語学(英語、中国語、韓国語)、日中マルチリンガル育児、littleBitsやRaspberry Pi, Arduinoを使ったExperience Prototypingネタ。

聞いて区別できる>話して区別できる

私は大学時代は言語学を専攻していて、チョムスキー生成文法が専門だったこともあり、その後の仕事の選択にも「ことば(の習得であったり理解)」が関わり続けています。ここで言う生成文法的な考え方というのは、人は脳内に生得的な(=生まれながらに)文法装置を持っており、赤ちゃんとして生まれた後に触れた(言い誤り等を含む不完全な)言語資料でパラメターが設定されることにより、ことばを身につけることができる、といった考え方です。

ちなみに生得の反対は習得。生まれて来たばかりの子供の脳は真っ白なキャンバスで、経験により人としてのありよう(例えば母語)が描かれていくという考え方です。ただし、これだとなぜ(言い間違いや言い直し等を含む)不完全な入力から、頭の良さとは無関係にだれもが(ほぼ)等価な母語の文法を獲得できるのかが説明できない、というのが生成文法家の考え方です。

ところで、母語ではなくて外国語学習に目を移すと、中学校での英語教育のように、小さな子供が言語を獲得するのとは違ったアプローチで外国語を勉強しているからいけないのだ、赤ちゃんの母語習得と同じプロセスを外国語学習の際にも経るべきだという考え方をする人もいます。私自身は、そのような考え方には全く共感できないのですが(私自身が「勉強」して英語なり、それ以降の外国語を身につけたというのが一番の理由)、そういう考え方の人が実際に観察した結果自体は、事実として参考になるところもあります。

そんな観察結果を「ことばはボクらの音楽だ!ーマルティリンガル習得プログラムー」から引用してみます。

うちの子、二歳になるんですけど面白いんですよ。この間、私が石を拾って「はい、イシよ」と言って渡したら「イチ」って言うんです。もう一つ石を拾って今度は「ハイ・イチ」と言って渡したら「チガウ、イチ」だって言うんです。

この口から出ている発音が「イチ」であるにもかかわらず、耳にしている発音が「イシ」というのが面白いと思います。パパ(私)の中国語発音もこんな感じで指摘されてしまうのだろうか、などと考えてしまいます。我が家のようにパパとママの母語が異なる場合、パパがママの母語で子供に話しかけるとどんなことが起こるのでしょうか(究極的な話としてはエスペラント語で子供を育てる両親ってのが1960年代や70年代にはいらっしゃった様ですが)。

ことばはボクらの音楽だ!-マルティリンガル習得プログラム-