Experience Prototypistのマルチリンガル子育て+プログラミングブログ

Design Thinking、語学(英語、中国語、韓国語)、日中マルチリンガル育児、littleBitsやRaspberry Pi, Arduinoを使ったExperience Prototypingネタ。

「はい」でうなずくのは文化か?本能か?

「はい」で首を縦に振ってうなずく、「いいえ」で頭(かぶり)を振るのは土地や民族に紐づく文化なのでしょうか、あるいは人としての本能なのでしょうか?

文化派が例としてよく挙げるのはブルガリアの例です。ブルガリアでは「はい」の時に首を横に振り、「いいえ」の時に首を縦に振るそうです(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/2602/memo.html )。私も結構いろいろな国の友達がいますが、ブルガリアの友達はいないので目にしたことはありません。琴欧洲が日本に来て間もない頃にYes/Noで誤解を産むようなことはあったのでしょうかね?

あとはインドの例が挙がることもありますが、ブルガリアとはちょっと事情が違うようです。はいといいえが逆というよりは、はいやいいえの示す意味なり伝えたいメッセージのカバレッジが多少異なることのようです。

言語では音と意味のつながりは恣意的(犬をイヌと呼ぶのか、dogと呼ぶのかは文化上(言語上)の違いにしか過ぎない)であることから類推して、Yes/Noで首を振る向きも文化的(ここでは後天的、経験的と呼んでも良いかもしれません)に習得したという考え方もあるようです。

ただ、実際にこの冬、5ヶ月の息子が風邪をひいて、薬を飲ませないといけないといった状況に追い込まれると、Noで首を振るのは本能だろうというのを強く実感します。粉薬を水で溶いたり、あるいは水薬をスポイトに吸い、口に運ぶのですが、嫌がる時に首を横に振って激しく拒否をすることはあっても、首を縦に振ることはありません。

あるいは鼻水を吸ってあげる時も首を横に振って拒否することはあっても、縦に振って拒否をすることはありません。薬を飲ませたり、鼻水を吸ってあげる側からすると、首を横に振られると狙いが定まらず、かなりしんどい思いをしますが、首を縦に振られても狙いを定める上では(ゼロとはいいませんが)あまり苦労はしないように思われます。

チュチュベビー チュチュ鼻水キュートル

チュチュベビー チュチュ鼻水キュートル

 

 一方、首を縦に振るのはどんな時かと考えると、離乳食を咀嚼、というかゴクリと飲み込むタイミングかな、と思います。気持ちとしては肯定の気持ちが強く働いているのではないかと思います。

件のブルガリアの話にしても、Yes/Noが逆なのは歴史的な理由のようで、つまりは、社会が教えて学習することで得られる習慣であるように思われます。

風邪とは離れますが、以前はあれほど嫌がっていた綿棒での耳掃除も、ここ1ヶ月ほどで気持ち良さを覚えたのか、自分から耳を出して、恍惚の表情を浮かべながら耳をこちらに任せてくれています。先日ハーフバースデーを迎えましたが、こんな風にすぐに成長していってしまうのだなとしみじみ感じ入った次第です。