Experience Prototypistのマルチリンガル子育て+プログラミングブログ

Design Thinking、語学(英語、中国語、韓国語)、日中マルチリンガル育児、littleBitsやRaspberry Pi, Arduinoを使ったExperience Prototypingネタ。

さようなら NIFTY SERVE(のフォーラム)



INTERNET Watchによると(http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2004/11/17/5450.html)、(@niftyではなくて、TTYベースの)NIFTY SERVEのフォーラムが、2005年3月を目処に全廃の方針とのこと。一つの時代の終わりを感じさせるニュースではある。

私とNIFTY-Serveとの出会いというのは、1992年の1月にさかのぼる。当時、私は大学3年生で後に入社することになる某社の内定をもらっていた。その会社では、会社と内定者、あるいは内定者間の連絡にパソコン通信(というのはつまりNIFTY-SERVEのことですな)を活用しており(社員間の連絡もNIFTY-SERVEの電子メールで行っていた)、内定者には富士通の通信機能付きワープロが支給された(LX405だったかな?)。

実は私、大学時代に電話というものを持っていなかったのだが、NIFTY-Serveのこと自体は当時でも知っていたし、これはいい機会だと電話の加入権を購入し(加入権なんて単語も消えてしまいそうだが)、パソコン通信のある生活が始まったのだった。

一人が入ると芋づるで、高校時代の先輩や同期も新たに入会したり、あるいは既に会員であることがわかったりして、これまでとは違った形で密な連絡が取れるようになったりもした。

その後、会社に入り、エンジニアとしての生活が始まるのだが、当時は最新の情報を手に入れるなら、分からないことを調べるには...とにもかくにも今なら「インターネット」となるところが「NIFTY-Serve」であった。フォーラムでのgive and takeの情報のやりとりなどなど非常に濃ゆい世界に、課金にも負けず(むしろ嬉々として)生きていたのであった。

NIFTY-SERVEの電子メールがインターネットのEメールとゲートウェーで接続されると聞いて、「海外にあるあのファイルが手に入れられる」とftp-mailで(ftpではない、念のため)手に入れて感動したのも、bitnetにメールが出せると感動したのも、今は昔である。

通信機能付きのワープロ等を使っている人は今もいるとのことで、電子メール等の機能は温存されるようではあるが、ここまでメンテメンテで生きながらえてきたシステムには、本当にご苦労様という気分だ(@niftyの肩を持つわけではないが、これ以上システムに鞭打つってのもそりゃあ無理でしょう)。