Experience Prototypistのマルチリンガル子育て+プログラミングブログ

Design Thinking、語学(英語、中国語、韓国語)、日中マルチリンガル育児、littleBitsやRaspberry Pi, Arduinoを使ったExperience Prototypingネタ。

ろくちゃん、9か月

私の勤めている会社では給料日は毎月24日なのだが、その翌々日が26日ということで、息子のmonthly anniversary。今月も無事に9か月を迎えることができました。

息子レポもしばらく間隔が開いてしまいましたが、その間もさまざまな成長を見せてくれました。

言語オタクの息子に産まれたこともあってか、喋るのはあれこれ喋ってくれます。子音レベルでは[b](パパは言えないけどババは言える)→[d](ダダは言える。ダディのダ)→[m](ここでママと呼べるようになる)→[n](いまここ)といった感じで進化を遂げてくれました。

母音は[a](ババ、ダダ、ママ)くらいかな。うめくときには[u]に近い音も出していますが、[i]や[e]、[o]は見受けられません。

子音に[m]が出てくるあたりで終音に[n]が出てくるというのがおもしろいですね。父親をババ、ダダと呼べるようになったあと、母親をママと呼べるようになるわけですが、あわせてンマから始まってマンマも発声できるようになる時期と、離乳食が一回食から二回食に進む(+おやつみたいな栄養補給というよりは楽しむための食事行為が導入される)タイミングが偶然かもしれませんがほぼ一致しているようです。

ちなみにマンマは日本語の乳児語で食べ物を指すわけですが、子音[m]の次に観察された子音[n]を使ったナナは日本語であれば「おなか(お腹)」につながる一方、中国語では奶奶(nainai)、つまり「おっぱい」につながっているように見受けられます。

さて、語の長さと構成という意味では、「ババ」「ダダ」「ママ」のような同一音の(2回)繰り返しから「マンマ」のように同一音の繰り返しに終音を挟む形(ちょっとここは説明が不正確。マンマが3音節か2音節かという議論はいったん保留しておきましょう。)までが聞けたわけですが、最近は「アンナ」が言えるようになりました。これを以て別の2音の連続ができるようになった(「そら」「あい」のような)とは確定できない(「アンア」が「アンナ」という音声で表現されるという言い方もできるので))のですが、まあ、「奈奈」ちゃんと「安奈」ちゃんであれば、自分の名前は早々に発音できるということなのかも知れません。

といったところで、言語習得観察日記、まだまだ続くです。

 

Raspberry PiとlittleBits(のArduino)連携

Raspberry Pi 2を買って、いろんなセンサーをつないでデータ収集したいのはやまやまなのだが、その度にセンサー買って、ブレッドボード上で回路を組んでいくのも楽しいんだけど、イケてないな、というかあまりアジャイルじゃない気がします。

Raspberry Pi 2 Model B (1)

Raspberry Pi 2 Model B (1)

 

そんな時は私の出番とばかり、littleBitsと連携すればいいではないかということで、littleBitsのArduino Bitと連携してみました。今日はまだセンサーやアクチュエーターとは繋がらないです。

littleBits Arduino Starter Bundle

littleBits Arduino Starter Bundle

 

 そうはいうものの、私がゼロから考えたわけではなく、先人の知恵(Raspberry PiとArduinoを連携させてみた | Nothing but logs)をlittleBitsのArduino bitではどうなるか、読み替えてみたのでした。

最初のArduino IDEのインストールやino, setserialのインストールはRaspberry Pi 2でも指示通り、問題なくできました。

次にLEDを光らせるスケッチですが、たとえば bright led bitをarduino bitのどこにつけるかで、スケッチの中の int LED_PIN=13 の13の部分が変わってきます。出力の一番上 d1 であれば int LED_PIN=1, 真ん中のd5であれば int LED_PIN=5, 一番下のd9であれば int LED_PIN=9 となります(最後に挙げるビデオではd9に接続しています)。

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スケッチをビルドする際のターゲットモデルはunoではなく、leonardoとなります。したがって、スケッチのビルドは、ino build -m leonardo でできます。

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プログラムのArduino Bitへの転送の際も、inoコマンドでモデル名を -m の後に指定するようになっているので、unoではなくleonardoを指定します。全体としては、 sudo ino upload -m leonardo -p /dev/ttyACM0 となります。

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転送が終了すると、LEDがチカチカ点滅をはじめます。


舟木 将彦 | Facebook

次回はセンサをあれこれとつなぎ換えてみることにしましょう。

「はい」でうなずくのは文化か?本能か?

「はい」で首を縦に振ってうなずく、「いいえ」で頭(かぶり)を振るのは土地や民族に紐づく文化なのでしょうか、あるいは人としての本能なのでしょうか?

文化派が例としてよく挙げるのはブルガリアの例です。ブルガリアでは「はい」の時に首を横に振り、「いいえ」の時に首を縦に振るそうです(http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/2602/memo.html )。私も結構いろいろな国の友達がいますが、ブルガリアの友達はいないので目にしたことはありません。琴欧洲が日本に来て間もない頃にYes/Noで誤解を産むようなことはあったのでしょうかね?

あとはインドの例が挙がることもありますが、ブルガリアとはちょっと事情が違うようです。はいといいえが逆というよりは、はいやいいえの示す意味なり伝えたいメッセージのカバレッジが多少異なることのようです。

言語では音と意味のつながりは恣意的(犬をイヌと呼ぶのか、dogと呼ぶのかは文化上(言語上)の違いにしか過ぎない)であることから類推して、Yes/Noで首を振る向きも文化的(ここでは後天的、経験的と呼んでも良いかもしれません)に習得したという考え方もあるようです。

ただ、実際にこの冬、5ヶ月の息子が風邪をひいて、薬を飲ませないといけないといった状況に追い込まれると、Noで首を振るのは本能だろうというのを強く実感します。粉薬を水で溶いたり、あるいは水薬をスポイトに吸い、口に運ぶのですが、嫌がる時に首を横に振って激しく拒否をすることはあっても、首を縦に振ることはありません。

あるいは鼻水を吸ってあげる時も首を横に振って拒否することはあっても、縦に振って拒否をすることはありません。薬を飲ませたり、鼻水を吸ってあげる側からすると、首を横に振られると狙いが定まらず、かなりしんどい思いをしますが、首を縦に振られても狙いを定める上では(ゼロとはいいませんが)あまり苦労はしないように思われます。

チュチュベビー チュチュ鼻水キュートル

チュチュベビー チュチュ鼻水キュートル

 

 一方、首を縦に振るのはどんな時かと考えると、離乳食を咀嚼、というかゴクリと飲み込むタイミングかな、と思います。気持ちとしては肯定の気持ちが強く働いているのではないかと思います。

件のブルガリアの話にしても、Yes/Noが逆なのは歴史的な理由のようで、つまりは、社会が教えて学習することで得られる習慣であるように思われます。

風邪とは離れますが、以前はあれほど嫌がっていた綿棒での耳掃除も、ここ1ヶ月ほどで気持ち良さを覚えたのか、自分から耳を出して、恍惚の表情を浮かべながら耳をこちらに任せてくれています。先日ハーフバースデーを迎えましたが、こんな風にすぐに成長していってしまうのだなとしみじみ感じ入った次第です。