こちらも今朝の日本経済新聞より。2005年05月09日 朝刊 21ページの記事: 教材、ネットで無償公開――京大など5大学連携。
京都大、東京大、早稲田大、東京工業大、慶応義塾大の五大学が共同で「日本オープンコースウエア(OCW)連絡会」を発足させ、講義要旨や資料等をホームページなどを通じて提供とのこと。
記事の中には、「大学の教材は部外者がチェックする機会が少なく、質の高い教材を作っても教官の評価につながりにくい」というくだりがあるのだが、私に言わせれば、これは逆だと思う。部外者がチェックする機会が少ないからこそ、質の低い教材が(とくに文系では)まかり通っているのではないかと思う。いつ作ったのかわからないようなノートで毎年同じ講義をしていたり、努力の成果が新書の引き写しだったり(学生の話ではない、教官の話なのだ)といった具合で、公開せよ、といわれるのではないかとドキドキしている大学人も少なくないのではないだろうか。
講義内容を公開するからには、私は次の点を望みたい。
まず、公開する側の大学教官には、(学生と教官の双方がナメきっている)一般教養の授業内容が、次に伝えようとする専門に向けて、しっかり導入の役割を果たすような内容になるよう、努力してほしい。その上で、自らの専門に関しては、多くの人の興味を掻き立てるようなものを準備してほしい。
公開したものを利用する側、とりわけ、(そもそも想定されているかどうかは疑問だが)大学を受験しようとしている高校生には、コースウエアの内容を見ることによって、
- センター試験のような客観評価、(出題範囲が厳格に定められているという点で)平等な試験での実力
- 2次試験で要求される主観評価(ゴールが間違っていても、思考過程が評価されうる)、(珍問・奇問でない限りにおいて、教官は自分の出したい問題を出し、それが理解できる学生を選べるという意味での)不平等な試験での実力
の両方が必要であることが理解できるようになれば、と思う。自分にやりたいことがあるのであれば、(いわゆる偏差値の高い大学ではなく)行くべき大学がわかるような内容であることが望ましいと思う。
現状は、「いわゆる偏差値の高い大学」に行ったほうが、どの分野であれ、やりたいことが出来るという点で大学も没個性化(プチ東大化なりプチ京大化)しているから、あまり意味がないといわれそうな気もするが。
えらそうなことは言ったものの、私も元ネタであるMITのOpenCourseWareをまだちゃんと見ていないので、これからちゃんと見てみます。
OCW Home